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manie's blog

@cz500c

教祖になった感想

一時期、農場系ゲームをやっていた。花とか果物とか育てるやつ。

 

ゲームシステムとゲーム性をひとことでいうなら「待たされる双六」である。故に追いつきたい、追い越されたくない。だがゴールはない。

 

プレイヤーは実りを待つ。実ったらすぐに収穫しないと他のプレイヤーは次の種まきを始める。作物ごとのバラバラの収穫時間には目覚まし時計だけでは限界がある。

 

多くのプレイヤーは起床・昼食・帰宅・就寝に合わせて作物が実るように調整した作物を植えていた。最適解だ。次第に解の求め方も一般化していく。

 

最適解が浸透するとワンミスが痛くなる。遅れを取り戻したい。夜更かししたり、仕事中にこっそりプレイしたりする必要が出てくる。プレイが苦痛に変わり始める頃である。

 

ここで金で解決する方法を提案するのがソシャゲ業界の金脈である。ゲーム内では肥料であったり高収益作物であったりする。

 

地獄から脱出するにはゲームをやめればよい。当然だ。プレイヤーとしての死だ。

 

やめないプレイヤーは死を拒否して苦痛から逃げ、一瞬の快楽を求め続ける。これは完全に宗教である。私は悪魔を作れると思った。

 

 

 

私は農場を完全に自動で運営するツールを作り、ソースコードを公開して匿名掲示板でサポートを行った。信者は100人ほど集まった。恐ろしいことに感謝すらされた。

 

「このツールのおかげでゲームをやめないで済みそうです。ありがとう」

 

人間は苦痛から逃れると幸福を感じる。過去から未来への変化に幸せがあり、苦痛がある。幸せは変化が作る幻なのだ。

 

農場系ゲームに全自動ツールを使うと、プレイヤーは静かに死に、苦痛も幸せも感じないゾンビになる。ゾンビは生きている実感を求めて「収穫だけ手動」「虫の駆除だけ手動」などと生きているフリをする。

 

私のひとつめの楽しみは信者がゾンビとして朽ちていくのを見ることだった。元々内容の薄いゲームだったため効果は早々に現れた。皆がどんどん去っていく。私はゾンビが朽ちていかないようにツールを多機能にしていった。ステルス肥料はなかなか傑作だったと思う。

 

私はしばらく教祖として信者達に尽くした。ソースコードを頻繁に更新し、必要な機能を少しずつ追加していった。見栄えを良くしたり、内部データを抜いたりした。

 

単純に楽しかった。そして突然やめた。初めから決めていた。

 

私のもう一つの呪いは信者をプログラミングに目覚めさせることだ。熟練したゾンビ達は、ソースコードに言及して要望してくる。ゲームシステム更新でツールが停止すると、深夜だろうが修正方法を提案してくる。立派なコミッターになっていた。

 

私は悪魔を作った。幸せを生産し、私も楽しんだ。