manie's blog

@cz500c

私はどのぐらい死んでいるか

半分ぐらい死んだ。だが残りの命に同じ時間がかかるとは限らない。

 

死は命が無くなったときであるが、少しずつ減っていってゼロになる時と考える人は少ない。しかし事実である。

 

命の微分値、つまり死に往く速度を健康(あるいは不健康)と呼ぶではないか。命は連続関数である。命は単調減少ではない。危篤状態から生還することもある。誕生時の初期値以外に後天的な項もあると考えるのが自然だ。

 

では健康の微分値とは何か。より健康になったり不健康になったりする要素とは何か。生活習慣であろうか。環境かもしれない。いくつか考えられるが、命の二次微分値であることに変わりはない。

 

三次導関数は、生活習慣や環境を変えようとする力のことである。行動であり感情である。期待と恐怖である。

 

感情を作り出すデータのことを情報(information)と呼ぶ。感情は特定のデータによって自動的に励起される。この励起システムを深層心理や潜在意識あるいは無意識などと呼ぶ。

 

無意識の動作原理は脳内分泌物の生成で説明出来る。人類は無意識を変えられる。感情を励起する特定のデータを入れ替える能力がある。これを知能と呼ぶ。知識はその脇役に過ぎない。

 

健康、環境、感情、無意識、知能。

 

これらは導関数である。知能があり、潜在的欲求が安定していて、感情が穏やかで、生活環境が快適でも、健康の初期値が大きくマイナスであればすぐに死ぬ。健康に生まれても劣悪環境では長生き出来ない。

 

私は健康に生まれた。育つ環境は快適だった。感情は少しねじれたが壊滅的ではない。潜在的な欲求はやや過激だ。知能はマイナス域にある。

 

私は既に半分以上死んでいるが、このあと高速に死に近づく。導関数には加速する力がある。

 

健康が残り少ない。かなり厳しいゾーンにいる。

 

環境はすばらしいが習慣が劣悪だ。要改善。

 

感情は少し不安定だがかなり改善した。このまま改善できれば問題ない。

 

潜在的欲求は拡大傾向にある。そろそろ治まってほしい段階だ。

 

知能は壊滅的。必要だ。どうやって手に入れよう?

 

 

知能とは真似だ。「こうすればいいんだ」と脳に教えることだ。私はいまのところ失敗している。なにか間違えているのだ。やめるべき何かがある。

 

成功者の真似をするのは失敗者の真似をするのと同じぐらい愚かだ。かつて失敗していたものが成功する時にやめた行動を知る必要がある。

 

成功者と触れ合い、失敗者とは距離を置くべきだ。話すべきだ。合うべきだ。

 

さて、どこに出かけようか。